仙台市は、宮城県の中央に位置しており、東は太平洋に面し、西を奥羽山脈に囲まれた、東北地方の中でもっとも人口が多い政令指定都市です。
古くは、慶長5年、西暦1600年に伊達政宗公が仙台城を新しい居城とし、その卓越した政治力・先見性により、城下町建設、新田開発、水運の整備などが進められ、仙台藩の基礎が形成されました。
明治22年に市制施行し、「仙台市」としての歴史が始まり、平成元年には政令指定都市に移行、令和元年で市制施行130周年を迎えました。
東日本大震災をはじめとする数々の試練や時代の変化を乗り越え、緑に包まれた美しくゆとりある環境と高次な都市機能が集積した利便性、防災環境都市としてのブランド力など、これまで培われてきた都市個性を生かし、環境と都市機能が美しく調和する「杜の都」を創り上げてきております。
仙台のすずめ踊りは、慶長8年(1603)、仙台城移徒式(新築移転の儀式)の宴席で、泉州・堺(現在の大阪府堺市)から来ていた石工たちが、即興で披露した踊りにはじまるといわれています。
西国らしい小気味よいテンポ、躍動感あふれる身振り、伊達家の家紋が「竹に雀」であったこと、はね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ていたことから「すずめ踊り」と名付けられ、長く伝えられることとなりました。戦前までは石切町(現在の八幡町)の石工たちによって踊り継がれ、毎年、大崎八幡神社の祭礼には「すずめ踊り」を奉納するのが通例となっていました。しかし、戦後は「すずめ踊り」も次第に継承者を失い、同町石切神社にてわずかに残った石工にひっそりと受け継がれるだけとなっていました。
仙台・青葉まつりでは、途絶えかけた伝続を守るため、伝承者黒田虎雄氏の指導を仰ぎ「すずめ踊り」を復元。 昭和62年より『仙台すずめ踊り』としてコンテストや講習会を開き、すずめ踊りの伝承・普及に力を注いで参りました。『仙台すずめ踊り』は、「すずめ踊り」の原型をとどめつつも、老若男女どなたにでも楽しめるよう練り直されています。
こうして『すずめ踊り』は、400年の歳月を越え、新しい仙台のまつりにふさわしい踊りとしてよみがえりました。
仙台・宮城・東北の魅力を伝えるため、現世に舞い降り杜の都・仙台によみがえった伊達政宗公と家臣たち。仙台・宮城・東北の魅力を日ノ本中、世界中に広めるべく、令和となった現在も日々活動を続けております。
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