令和3年度 日本水道協会全国会議(オンライン開催)

仙台水道 給水開始100周年の歩み

仙台市水道100周年ロゴマーク
仙台市水道100周年ロゴマーク

 仙台市の水道事業は、大正12年3月31日に給水を開始し、令和5年で100周年を迎えます。その起源は、藩政時代、仙台藩祖伊達政宗公によって城下にはりめぐらされた『四ツ谷用水』にまで遡ります。その後も戦争や地震といった自然災害など、数多くの困難を経験しながらも、市勢の進展に伴い増加していた水需要に対処するため、新たな水源を求めて拡張事業を進めてまいりました。

 このページでは、これまでの拡張事業を中心に、歴史の一端をご紹介します。

水道創設期(大正2年~12年 1913~1923)

 仙台で初めての近代水道は、広瀬川の支流である大倉川に水源を求めました。大倉川から中原浄水場へ水を運び、浄水して荒巻配水所へと送り、市内へと給水するというものでした。伝染病の心配がない安心して飲める水、産業の発展に欠かすことのできない水。人々の水道への熱い想いを受けての事業でしたが、第一次世界大戦の勃発による物資の不足と物価の高騰のため幾度となく工事は中断され、事業の完成には、予定の3倍の11年の年月を要しました。完成後、市内への給水を開始したのは大正12年3月31日のことでした。

内務大臣 原敬署名の中原浄水場着工認可書
内務大臣 原敬署名の中原浄水場着工認可書
苦地取水口(中原浄水場系統)
苦地取水口(中原浄水場系統)
中原浄水場管理事務所
中原浄水場管理事務所
中原浄水場緩速沪過池かき取り風景(再現)
中原浄水場緩速沪過池かき取り風景(再現)
水道創設期(大正2年~12年 1913~1923)

第一次拡張事業(昭和6年~9年 1931~1934)

 当時は一般家庭に水道メーターが設置されておらず、いくら水を使っても同じ料金だったため、水道使用量は計画の2倍にも達しました。また、周辺町村との合併により給水区域も拡大し、新たな水源が必要となっていました。そこで、広瀬川の支流である青下川を水源とする第一次拡張事業が開始されました。
 現在の青下水源地は、そのほとりに水道記念館が建てられ、水源かん養林に囲まれながら当時の建築物とともに保全されています。

青下第一ダム築造風景
青下第一ダム築造風景
送水管布設の作業風景
送水管布設の作業風景
中原浄水場系完成式典
中原浄水場系完成式典
青下水源管理所
青下水源管理所
第一次拡張事業(昭和6年~9年 1931~1934)

第二次拡張事業(昭和23年~30年 1948~1955)

 第一次拡張事業が終わったのもつかの間、水の需要は年々増加し、仙台市の水不足は常態化していました。太平洋戦争が終わり、戦禍を受けた水道管の復旧を急ぎましたが、戦後の復興とともに人口は急増、水不足は解消されませんでした。
 第二次拡張事業では水源を名取川に求め、富田浄水場から大年寺山配水所を経由して給水することとし、市内への給水体制の強化を図りました。

富田浄水場取水ポンプ室
富田浄水場取水ポンプ室
富田浄水場取水ポンプ
富田浄水場取水ポンプ
大年寺山隧道
大年寺山隧道
大年寺山配水所
大年寺山配水所
第二次拡張事業(昭和23年~30年 1948~1955)

第三次拡張事業(昭和33年~40年 1958~1965)

 第二次拡張事業が第二次世界大戦の影響により遅れたため、完成後すぐに使用水量は計画値を超えてしまいました。渇水による水不足をなんとか克服しようと、大倉川にダムを建設し、大量の水源水量を確保する新たな計画が策定され、推進されました。大倉ダムの放流水を取り入れた水は、国見浄水場から主に市中心部へと給水され、危機的な水不足は一応の解消を見ました。

大倉ダム堤体築造風景
大倉ダム堤体築造風景
応急水源拡張事業の様子
応急水源拡張事業の様子
苦地取水口(国見浄水場系統)
苦地取水口(国見浄水場系統)
国見浄水場建設風景
国見浄水場建設風景
第三次拡張事業(昭和33年~40年 1958~1965)

第四次拡張事業(昭和41年~53年 1966~1978)

 昭和40年代になると、仙台市は『新産業都市』としてさらなる発展を見せ、人口の増加と産業活動の高度化、水洗トイレの普及などにより、水の需要は伸び続け、その後も増えることが見込まれていました。そこで川崎町に建設された釜房ダムの水を確保するとともに、本市最大の浄水場である茂庭浄水場を整備し、給水能力を大幅に増加させました。

釜房ダム堤体築造風景
釜房ダム堤体築造風景
完成後の釜房ダム取水塔
完成後の釜房ダム取水塔
完成後の茂庭浄水場
完成後の茂庭浄水場
鉤取山配水所
鉤取山配水所
第四次拡張事業(昭和41年~53年 1966~1978)

第五次拡張事業(昭和53年~平成12年 1978~2000)

 第五次拡張事業の開始当時は、東北自動車道や東北新幹線の開通効果もあり、人口の集中と産業の集積が続くことが予想されていました。さらに、昭和62年度には隣接する宮城町、泉市及び秋保町と相次いで合併し、これらの市町の上水道事業と簡易水道事業を継承することにより給水区域が大幅に拡大しました。長期的な展望で安定した給水体制を確立するため、七ヶ宿ダムを水源とする「宮城県仙南・仙塩広域水道」から水を受け入れるための施設整備を進め、平成12年に拡張事業が完成しました。
 また同時に、中央配水幹線や水運用システムの整備などにより、各浄水場水系間で水を相互に融通することで、災害にも強く効率的な水運用も可能となる施設整備も進めました。
 平成23年3月11日に発生した東日本大震災では、長期の停電、管路網の被害、県広域水道の受水停止も重なり、断水率は一時約50%にも達しましたが、第五次拡張事業で構築した機能により断水区域の縮小化と早期の給水開始が可能になりました。

七ヶ宿ダム築造風景
七ヶ宿ダム築造風景
中央配水幹線
中央配水幹線
福岡浄水場
福岡浄水場
第五次拡張事業(昭和53年~平成12年 1978~2000)

拡張から維持管理の時代へ(平成13年(2001)~)

 一連の拡張事業が終了した後も、施設の経年劣化と地域的な水需要への対応として配水管の更新・新設を行いながら、繰り返される地震に対応するため、管路の耐震化や応急給水に係る施設の整備、浄水施設の耐震化を進めてきました。
 これまで右肩上がりで増加してきた水需要は、家庭での節水意識の浸透や事業所や工場における地下水の併用といった使用形態の変化などによりその伸びが急速に鈍化しました。また、将来的な人口減少などから今後の水需要が大幅に増加することが見込めなくなったため、簡易水道事業の統合や浄水場の休廃止など、経営の効率化を図ってきました。
 そのような中、平成23年3月11日に発生した東日本大震災の経験と教訓を踏まえ、管路の更新・耐震化のペースアップ、市立学校への災害時給水栓の設置等を実施し、また、新たに水道事業体等と覚書や協定を結び訓練を通して連携強化に取り組むなど、ハード及びソフト両面による総合的な災害対応力の強化を図っています。
 お客さまサービスの拡充に向けた取組みでは、平成19年1月に引越し受付業務などをおこなう水道局コールセンターを開設、平成26年に水道の漏水、修繕に関するお問い合わせに24時間365日対応する水道修繕受付センターを開設するなど、さらなるお客さまの利便性の向上に努めています。
 本市では令和5年で給水開始100周年となるこれまでの歴史を礎としつつ、新たな時代に向けて更なる飛躍を目指していきたいと考えています。

地域住民や他水道事業体との合同訓練
地域住民や他水道事業体との合同訓練
災害時給水栓の地域説明会
災害時給水栓の地域説明会
水道記念館の館内展示
水道記念館の館内展示
耐震管布設の様子
耐震管布設の様子
拡張から維持管理の時代へ(平成13年(2001)~)